三河帰還 ― 女たちの理と束ねの剣 ―
三河の空は、やさしい灰色だった。
戦の煙が消えて久しいのに、どこか胸を締めつける匂いがまだ残っている。
風に混じる花の香りが、環の頬をかすめた。
束ねの剣を背に、彼女は静かに丘を降りる。
見渡せば、かつての戦場に小さな畑ができていた。
子どもたちの笑い声、鍬の音、井戸の水音――
それらすべてが「戦が終わった証」だった。
「……もう、剣はいらないね。」
呟いた声は風に消え、
遠くで焚かれる煙の匂いが、安堵のように漂っていた。
一、朝のぬくもりと湯気の理
「おはようございます、環さま。」
障子の向こうから服部半蔵の声。
彼女が差し出す湯呑みには、湯気とともに味噌の香りが立つ。
「忠勝さまが、井戸の水を新しくされたそうです。」
「……あの人は相変わらず働き者だね。」
環が笑うと、半蔵の表情がわずかに緩む。
台所の奥では、本多忠勝が桶を抱え、汗を拭っていた。
「ふぅ……民の水は、戦より重い。」
「でも、その重みこそが理ですよ。」と半蔵が静かに言う。
かつて剣で守っていたものを、
今は手と心で守る――
それが、彼女たちの新しい戦いだった。
二、昼の風 ― 剣を交わさぬ稽古
昼下がりの陽が庭に落ちる。
佐々木小次郎と松平信康が木刀を構えて向かい合う。
だが、剣は交わらない。
風の流れに合わせ、呼吸と姿勢だけが動く。
「……斬らぬ剣。それが理か。」信康が呟く。
「はい。剣は人を守るためにある。
敵を倒すためではなく、悲しみを止めるために。」
環は縁側に座り、茶を啜りながらその光景を見つめていた。
剣の音がしない庭。
それがどれほど尊いことか、胸が知っていた。
隣で光の珠を弄ぶ天草四郎時貞が、穏やかに微笑む。
「未来でも、この風は吹いているのかな?」
「理が続く限り、風も止まらない。」
二人の視線が空に重なる。
春と秋の間のような、やわらかい風が流れていった。
三、夕暮れの食卓 ― 笑いと香りの理
夕陽が落ちるころ、庭の焚火に火が灯る。
半蔵が鍋をかき混ぜ、忠勝が味見をして首をかしげた。
「……塩が足りん。」
「理も塩も、足りぬくらいがちょうどいいのですよ。」
思わず笑いが起こる。
濃姫を思わせる旧織田の女武将が、
「三河の味は優しいね。」と箸を運ぶ。
「優しさは弱さじゃない。」
環の声に、火の粉がはじけた。
「戦で奪ったものを、今度は守る。それが理の巡り。」
誰もがうなずいた。
笑い声と、土の香りと、味噌の湯気。
それらが織りなす日常の理。
戦を超えた者だけが知る「強さ」が、そこにあった。
四、夜の光 ― クロノスの導き
夜。
環は庭に出て、静かに月を見上げていた。
束ねの剣が淡く光り、その刃の中に星のような光粒が流れている。
「戦は、本当に終わったのかな……?」
時貞が呟く。
環は剣に手を添え、微笑んだ。
「終わった。けれど、理の旅はまだ続く。」
その瞬間、クロノスの声が風に溶けた。
『束ねの剣が光を取り戻す時、理は再び巡る。
戦の理は終わり、今は生の理が始まる。
この地の笑いが、次の理を呼ぶだろう。』
環の瞳に月が映る。
その光は、まるで未来への約束のように輝いていた。
終章 一言
「誰かのために剣を抜くのではなく、
誰かと笑うために手を伸ばせるように。」
焚火の残り火が、夜風に溶けていく。
明日もまた、三河に光が満ちる――。
✨クロノス予告
― 理は北へ、風とともに ―
三河の静寂はやがて雪へと変わる。
束ねの理を継ぐ者たちは、新たな光を求め北陸へ。
そこに現れる“放浪の剣士”――
彼の理は、誰よりも孤独で、誰よりも澄んでいた。
🌙次回予告
第12話「北陸編 ― 理を求めし影 ―」
雪に包まれた地で、環たちは新たな理を探す。
道を遮る吹雪の中、名もなき剣士が姿を現す――
その出会いが、すべての理を揺るがすことを、まだ誰も知らない。
【戦国ファンタジー】第12話 北陸編 ― 謙信と兼続、理の試練へ

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