――雨上がりの街には、まだ夕暮れの名残が漂っていた。
病院の自動ドアが開き、少女・環(たまき)が一歩を踏み出す。
手の甲に残った点滴の痕を指先でなぞりながら、小さく息を吐く。
「やっと……終わったんだね」
その声は、雨上がりのアスファルトに吸い込まれていった。
街灯が濡れた地面に光を落とし、信号の赤が滲んで世界を染める。
ポケットの中でスマホが震えた。
画面には、親友・結衣からのメッセージが浮かんでいる。
『ライブどうする? 次の週末まだチケット残ってるって!』
環は小さく笑って、返信の文字を打ち始めた。 「うん、行こ。やっと自由になったし――」
だが、その瞬間。 世界が、ぐにゃりと歪んだ。
耳鳴りのような轟音。 視界が暗転し、身体の感覚が遠のいていく。 何かが、自分の中の時間を“引きずり出す”ような感覚。 目の奥で光が瞬き、重い空気が肺を圧迫した。
――目を開けたとき、そこは知らない空だった。
湿った土の匂い。 吹き抜ける風の中に、焦げた煙の臭いが混じっている。 耳に届くのは、男たちの怒号と金属のぶつかる音。
太鼓の音が遠くで鳴り響き、空気を震わせていた。
「……え?」
身体を起こした環の足元には、泥にまみれた布、散乱した矢。
見上げれば、布地に大きく家紋が描かれた陣幕――。
戦国時代の戦場。
そんな言葉が頭をかすめるが、現実とは思えない。 さっきまでいた街の風景も、スマホの光も、どこにもない。
「ここ……どこ?」
声は震え、喉の奥で小さく途切れた。 そのとき、背後から鋭い声が響く。
「おい、誰だ!?」
振り返ると、鉄の鎧をまとった男たちがこちらを見ている。 腰の刀を抜き、彼らはまるで“異物”を見るような目をしていた。
恐怖が一気に押し寄せ、環は足を後ずさる。 だが、その背中を支えたのは、冷たい手だった。
「待て」
低く、落ち着いた声。 振り向くと、そこに立っていたのは一人の男――。 黒い陣羽織をまとい、瞳は夜の闇より深い。 その男が静かに名乗る。
「我は、斎藤道三……この地を統べる者。」
環は言葉を失った。 歴史の教科書で見た名が、いま自分の前にいる。 しかし、彼の瞳の奥には、ただの人間ではない何かが宿っていた。
「貴様……“時を越えし者”か?」
「え……なに、それ?」
道三は薄く笑う。その笑みは、まるで何かを確信しているようだった。
「“理(ことわり)”の導きが、また一人を選んだか。」
その言葉の意味も分からぬまま、環は陣の外へと連れ出された。 遠くでは戦の火が燃え、空に黒煙が立ち上る。 地を揺らす轟音の中、彼女はその光景をただ見つめるしかなかった。
「これは……夢?」
指先を掴む風は冷たく、頬をかすめた灰が熱い。 夢ではない。
これは現実。
そして、自分は確かに“この時代に存在している”。
道三が空を見上げながら、静かに言った。
「この国は、いずれ焼かれよう。 だが、理が正しき者の手に渡るなら、救われるかもしれぬ。」
環は何も答えられなかった。 ただ、その言葉の響きが胸の奥で震えていた。
夜、陣幕の外で星を見上げる。 無数の星が、どこか懐かしく見えた。 そこへ、あの声が聞こえてくる。
「時は再び、理を結ぶために動き出す。
少女よ、汝が見るは過去にして未来。」
環はハッとして周囲を見渡すが、誰もいない。 ただ、風だけが草を揺らしていた。
「……クロノス?」
その名が、自然と口をついて出た。 どこか懐かしく、誰かに呼ばれているような感覚。 だが、その名を口にした瞬間、心の奥に熱が宿る。
掌に光が走った。
そこには、見たことのない紋章が浮かび上がっている。 光は一瞬ののち、静かに消えた。
環は息を呑み、呟いた。
「この光が……“理”?」
戦の炎の向こうで、夜明けが近づいている。 運命の歯車が、確かに動き始めていた。
次回予告:
「三河大戦 ― 灯火、理を結ぶ刻 ―」
戦の炎が燃え広がる中、環は初めて“理(ことわり)”の力を目にする――。
🌌 クロノスの導き
星々の間で、静かに時計の針が動き出す。
それは人の時間ではなく、“理”そのものが刻む鼓動。
クロノスの声が、夜風の中に響いた。
「汝――環。 その瞳が、理の扉を開く。」
星の光が胸元へと吸い込まれ、淡く瞬く。
少女がこの時代に導かれた理由――それが、今始まろうとしていた。
🌸 次回予告
「運命の糸が交わる時、戦いは新たな局面へ!」
