朝、まだ外が薄い光に包まれている時間。
カーテン越しに入ってきた光がやわらかくて、その明るさに少しホッとした。
慌ただしく過ごす日も多いけれど、今日は心の奥にある静けさが先に顔を出したような感覚があった。
ゆっくり起きて、深呼吸を一つ。
胸のあたりが軽くなるような、そんな空気だった。
人の気持ちは天気に似ていて、晴れる日もあれば曇る日もある。
その中で、今日は「無理に晴れにしなくてもいい」と思えたことが何よりの救いだった。
午前中は、あえて何も詰め込まない時間を取った。
やるべきことはあるけれど、急いで片づけても心が追いついてこなければ意味がない。
だからこそ、ゆっくりした動きのままで過ごした。
周りを見渡しても、焦らせるものは何もない。
やわらかい空気だけがある。
椅子に座って、窓の外を見る。
雲がゆっくり流れていくのをぼんやり眺めていると、心の中にも“ゆるやかに流れていくもの”が生まれていった。
何かを頑張る日も大切だけれど、「何もしない勇気」を持てる日というのは意外と少ない。
だからこそ、今日のような一日はとても貴重だと感じた。
昼前に少しだけ体を動かした。
散歩ほど体力を使うわけじゃないけれど、軽く動くだけで血のめぐりが良くなる。
とくに今日は気持ちが疲れていたわけではないけれど、身体の余計な力が抜けていくのがわかった。
こういう小さな変化に気づける時、自分を大切にしている感覚が強くなる。
昼の時間になると、外の光が強くなり、家の中も明るくなった。
食事をしながら、今日のペースを崩さないように意識した。
焦らず、急がず、ただ丁寧に過ごす。
それだけで、心がじんわり落ち着いていく。
午後に入ると、ふと「今の自分はちょうどいい」と思えた。
特別な理由はないけれど、不思議と浮かんできた言葉だった。
人生にはいろんな瞬間があるけれど、こうして“ちょうど良い場所に立っている”と思える日は、そう多くない。
だからこそ、その感覚をしっかり受け取るようにした。
部屋の空気も落ち着いていて、音も少ない。
唯一聞こえるのは、遠くの生活音。
それが逆に安心感を与えてくれる。
静かだけれど、完全な無音ではない。
人の気配が遠くにあるおかげで、孤独とは違う、程よい距離感の安心感があった。
夕方になると、外が少しずつ暗くなり始めた。
その色の変化を眺めながら、気持ちがまたひとつ静まっていくのを感じた。
今日の一番の良いことは、「自分のペースで過ごしていい」と心が許してくれたこと。
何かに追われるような気持ちが一切なく、ただ自然な流れに身を任せていられた。
夜になると少しだけ気温が下がり、空気が冷えてきた。
その冷たさが、逆に心を引き締めてくれた。
温かい飲み物を用意して、一日の終わりに向けてゆっくり時間を過ごした。
何気ない時間の中に、小さな満足が詰まっている。
今日を振り返ると、特別な出来事はなかった。
けれど、こういう一日こそ“流れを整えてくれる日”なんだと思う。
調子を取り戻す日でもあり、次への準備をしてくれる日でもある。
静かな日だからこそ、見えるものがある。
丁寧に過ごした分だけ、明日の気持ちが軽くなる気がした。
心が揺らがず、ただ穏やかだった。
それだけで十分すぎる一日だった。
一言
今日の静けさが、明日のやさしい流れにつながりますように。