今日は私服について、少し立ち止まって考える時間があった。
特別な予定があるわけでもなく、誰かに会う約束があるわけでもない。
それでも服を選ぶ手が止まり、鏡の前で自然と考え込んでしまった。
私服というのは不思議なもので、その日の気分や体調、心の状態がそのまま表に出る。
意識していなくても、無意識の選択が重なって、最終的な形になる。
今日選んだ私服は、決して派手ではない。
色も形も落ち着いていて、どちらかといえば無難な組み合わせだったと思う。
でも、鏡を見た瞬間に出た感想は「悪くはないけど、しっくりこない」だった。
似合っていないわけではない。
サイズが合っていないわけでもない。
それでも、何かが少し違う。
この「少し違う」という感覚は、最近とても大事にしている。
昔は、多少の違和感があっても「まぁいいか」で済ませていた。
見た目が整っていれば、それで良しとしていた時期もある。
でも今は違う。
着ていて気持ちが落ち着くかどうか。
肩に力が入らないかどうか。
その服のままで、自然に一日を過ごせそうか。
そういった感覚を無視すると、後で必ず疲れが出ることを、何度も経験してきた。
最近は、服に求めるものがはっきりしてきている。
「おしゃれに見える」よりも、「無理をしていない」。
「目立つ」よりも、「安心できる」。
これは妥協ではなく、感覚が変わっただけだと思っている。
私服は誰かに評価されるためのものではない。
一日の大半を一緒に過ごす、自分のための環境だ。
今日は外に出る予定もあったけれど、
この私服で出かけたときの自分を想像して、少し考えた。
見た目の問題ではなく、
「この服で一日過ごして、疲れないか?」
そこが引っかかった。
だから今日は、無理に整えることをやめた。
別の服に着替えるでもなく、気合を入れるでもなく、
「今日はこういう日」と受け入れることにした。
この判断は、昔の自分からすると少し意外かもしれない。
以前なら、何とかして整え直そうとしていたと思う。
でも今は、整えないという選択もできるようになった。
それは逃げではなく、自分を知った結果だ。
私服は、その人の「今」を映す。
元気な日は自然と色を足したくなるし、
疲れている日は素材のやさしさを優先する。
今日はまさに後者だった。
最近はクローゼットの中身も変わってきている。
昔は「これ、かわいい」「これ、映えそう」という理由で選んでいた服も、
今は自然と手に取らなくなった。
代わりに残っているのは、
着た瞬間に安心できる服、
考えなくても選べる服。
それは決して地味ではない。
むしろ、長く付き合える服だけが残った結果だと思っている。
私服を選ぶ基準が変わると、
外見だけでなく、日常のリズムも少し変わる。
焦らなくなる。
無理をしなくなる。
比べなくなる。
今日は特に、その変化を実感した日だった。
「今日はこれでいい」
そう思える私服があることは、案外大事だ。
完成されたコーディネートじゃなくてもいい。
誰かに褒められなくてもいい。
自分が納得できれば、それで十分。
今日の私服は、完璧ではない。
でも、今の自分には一番正直だった。
それだけで、この選択には意味がある。
私服は完成させるものではなく、更新していくもの。
今日の感覚が、明日も同じとは限らない。
それでいい。
今日は「無理をしない」を選んだ日。
それが一番きれいに見える日も、確かにある。