❄️観測者の沈黙 ― 理に触れた夜🌙
雪は音を奪い、夜は境界を曖昧にする。
三河の外れ、月明かりだけが照らす山道を、天草四郎時貞は一人で歩いていた。
誰にも告げていない。
誰にも導かれていない。
それでも、ここへ来る必要があると、心の奥で理解していた。
足元の雪は柔らかく、踏みしめるたびに沈み、すぐに元へ戻る。
まるで「ここに来た痕跡すら残すな」と告げているかのようだった。
覚醒してから、時貞の時間感覚は変わった。
過去と現在、そして未来が、同じ距離に並んで見える。
選択の結果すら、先に知ってしまうことがある。
――それでも。
彼女は、立ち止まらなかった。
知っているからこそ、逃げられない。
未来は崩れている。
理が折れ、澪の生きる世界は、静かに、確実に壊れていく。
誰かが止めなければならない。
その役目が、自分であることを。
天草四郎時貞は、もう否定できなかった。
森の奥で、空気が変わった。
冷たいはずの夜気に、わずかな熱が混じる。
静寂の底に、言葉にならない圧が生まれる。
そこには、何も見えない。
だが確かに、「境界」があった。
理と理の狭間。
触れれば、元には戻れない場所。
一歩踏み出せば、
武器を取らぬまま、試練に触れることになる。
怖さはあった。
だが、それ以上に――
「知らずに戻る」ことの方が、恐ろしかった。
時貞は、足を止めない。
その瞬間、音がした。
耳で聞く音ではない。
思考の奥、魂の深部へ直接落ちてくる、低く、静かな響き。
――試練は、まだ始まっていない。
時貞は息を呑んだ。
――だが、すでに触れている。
名を持たぬ声。
それは誰かではなく、理そのものだった。
境界の向こう側で、何かが揺れる。
人でも、獣でもない。
形を持たぬ“概念”が、存在を主張している。
これは敵なのか。
それとも――自分自身なのか。
時貞は、境界の中を覗き込む。
そこに、一瞬だけ映った。
背を向けた澪の姿。
振り向かない。
呼び止めても、声は届かない。
その距離は、今よりも遥かに遠かった。
「……行くよ」
震えはなかった。
それが、彼女の答えだった。
境界は、静かにほどける。
だが、完全には開かない。
――まだ、時ではない。
そう告げるように、気配は霧へと溶けた。
しかし、時貞は理解していた。
一度触れた理は、もう離れない。
覚醒は終わった。
だが、武器はまだ手にしない。
ここから先にあるのは、力ではない。
選択だ。
戻る道は、すでに消えている。
天草四郎時貞は、雪道を引き返しながら、静かに悟った。
自分はもう、
“試される者”ではない。
理を選び取り、世界を見続ける者――観測者となったのだ。
🔮クロノスの予告
観測は始まった。
だが、介入はまだ許されない。
理が刃となる時、
彼女は選ぶだろう。
救うか、断つか。
次に動くのは――人の側だ。
▶️次回予告
第33話:接触 ― 武器試練への扉
沈黙は破られ、
理は形を求め始める。
天草四郎時貞が“選ばれる”のではなく、
選び取る時が訪れる。