――戦国ファンタジーの深淵へ。
300記事を書いてきた私が、今この「死にゲー」に震える理由
正直に言う。
久しぶりに、手が震えた。
『仁王3』体験版配信決定。
この一文を見た瞬間、
ニュースを“読んだ”というより、
戦国の空気を吸い込んだ感覚があった。
こんにちは、かんなです。
私はこれまで、
戦国時代を舞台にした物語を300記事以上書いてきました。
ブログでは48記事以上、戦国ファンタジーというカテゴリーを積み重ねてきた。
織田信長。
豊臣秀吉。
徳川家康。
明智光秀。
真田幸村。
伊達政宗。
彼らを、史実の年表ではなく、
「生きた人間」として何度も動かしてきた。
調べて、悩んで、
「この人は、なぜこの選択をしたのか」を考え続けてきた。
だから断言できる。
『仁王』シリーズは、
戦国時代を“消費”しているゲームじゃない。
戦国時代を、真正面から愛している作品だ。
そして『仁王3』は、
その到達点になるかもしれない。
⚔️ なぜ『仁王』は、戦国好きの心を掴むのか
『仁王』を初めて触ったとき、
私は何度も死んだ。
雑魚敵にやられ、
ボスに叩き潰され、
「これは無理かもしれない」と本気で思った。
それでも、やめられなかった。
理由は一つ。
そこに、戦国時代があったから。
しかも、ただの歴史再現じゃない。
妖、怨霊、異界――
史実の“裏側”に潜む闇を、堂々と描いてくる。
これが、『仁王』の本質。
戦国時代は、もともと綺麗な時代じゃない。
裏切りがあり、迷いがあり、
信念と恐怖が同時に存在していた。
『仁王』は、
その歪みを“妖”という存在で可視化している。
だから説得力がある。
「もし、あの決断の裏に“何か”があったとしたら」
そう思わせる余白が、ちゃんと残されている。
これは、
戦国ファンタジーを書く人間から見ても、
相当レベルが高い世界設計だ。
🩸 史実 × 妖 ―― この“重さ”が、たまらない
『仁王』の空気は、暗い。
希望に満ちてはいない。
戦場は血と泥。
死は常に隣にある。
武将たちも、決して万能じゃない。
でも、だからこそリアルなんだ。
戦国時代は、
「夢を追えた時代」であると同時に、
**「一瞬で全てを失う時代」**だった。
『仁王』は、それを誤魔化さない。
この“重さ”を引き受けているからこそ、
プレイヤーは世界に没入できる。
私は自分の小説でも、
戦国を「美化しすぎない」ことを意識している。
その感覚が、『仁王』には確実にある。
👁 体験版で注目したい① ―― 武将の「人間性」
29日の体験版で、
私が一番注目しているのはここ。
武将が、どう描かれるか。
『仁王』シリーズの武将は、
単なる有名人じゃない。
恐れ、迷い、覚悟を抱えた「人間」だ。
史実は断片しか残っていない。
だからこそ、解釈が問われる。
『仁王3』では、
どんな武将が、どんな距離感で主人公と関わるのか。
妖をどう捉え、
戦国という地獄をどう生きているのか。
ここが見えた瞬間、
この作品が“本物”かどうか、はっきり分かる。
⚔️ 体験版で注目したい② ―― 死にゲーの「意味」
『仁王』は、いわゆる死にゲーだ。
でも、理不尽ではない。
死ぬたびに、
「なぜ死んだか」を考えさせられる。
距離か。
欲張ったか。
判断が遅れたか。
これは、戦国の生き方そのものだ。
一手の判断ミスが、命取りになる。
『仁王3』で、
この緊張感がどう進化しているのか。
新武器、新技、妖怪技――
アクションの変化以上に、
「戦う理由」がどう描かれるかを見たい。
🔥 なぜ私は、ここまで戦国に惹かれるのか
戦国時代の人間は、
常に「今日を生き切る」覚悟を持っていた。
現代は安全で、便利で、
でもどこか、実感が薄い。
だからこそ、
戦国の生き様に触れると、背筋が伸びる。
「まだ、やれるだろ」
「本気で生きてるか?」
そんな問いを突きつけられる。
『仁王』は、
その問いを、ゲームとして叩きつけてくる。
だから私は、このシリーズを信頼している。
📝 結論 ――『仁王3』は、戦国ファンタジーの“正統進化”
はっきり言う。
『仁王3』は、
戦国ファンタジーというジャンルの
正統進化系になる可能性が高い。
・史実への敬意
・妖という解釈装置
・死と向き合うゲーム性
これらが、今まで以上に噛み合えば、
ただの続編では終わらない。
戦国を「遊ぶ」んじゃない。
戦国を「生きる」体験になる。
29日、私は必ず体験版をプレイする。
そして、全力で書く。
戦国を愛してきた者として。
物語を書き続けてきた者として。
もし、ここまで読んでくれたあなたが
戦国ファンタジーの仲間なら――
一緒に、この世界に潜ろう。
刀を手に、
妖と向き合い、
戦国の闇を見届けよう。
29日。
『仁王3』の戦場で会おう。
――かんなより。