2026年1月15日 木曜日 ―― 小正月の静寂を歩む、あるがままの日常

日記・ライフログ
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目が覚めた瞬間、まず「寒い」と思った。❄️

布団の中にはまだぬくもりが残っているのに、鼻先だけが冷えていて、吸い込む空気が少し乾いている。冬の朝は、音より先に温度が知らせてくる。

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起き上がる前に、一度息を吐く。

白くはならないけれど、胸の奥がひゅっと縮むような冷たさがある。

枕元のスマホを手探りで取って、時間を確かめる。画面の光がまぶしくて、まぶたの裏が少し痛い。部屋はまだ薄暗く、カーテンの隙間から差し込む光は、朝というより「夜がほどけ始めた色」をしている。青みがかった灰色。冬の朝らしい色だ。

今日は小正月。

そういえば正月飾りは、いつの間にか視界から消えていた。玄関にあったものがなくなるだけで、家の空気は少し引き締まる。飾りがなくなった分、壁や床の“素”が目に入るようになり、余白が増えた感じがする。静けさが一段深くなったようにも感じる。

布団から出る。

足裏が床に触れた瞬間、冷たさがじわっと広がる。体が勝手に目を覚まそうとする。靴下を探して履くと、布が皮膚を包み、ほんのわずかに安心する。

キッチンへ行く途中、部屋の匂いを意識した。

暖房が止まっていた夜の空気は少し澄んでいて、昨日の生活の名残が薄い。洗剤や柔軟剤の匂いも強くない。冬は匂いが立ちにくいから、逆に「何もない匂い」がはっきり分かる。

やかんに水を入れる。

蛇口をひねったときの水の音が、朝はやけに大きく響く。シャーっと流れる音が、まだ眠い頭の中に一本の線を引くみたいに、意識を整える。水は冷たく、指先が少し赤くなる。

やかんの底がコンロに当たる金属音がして、そこでやっと「今日が始まった」と思う。火をつけると、カチ、という点火音のあと、青い炎が小さく揺れる🔥

やかんの下で、静かに仕事を始める。

待つ時間は、冬の朝にちょうどいい。

何かを急いで始める前に、音だけが先に日常を戻してくれる。湯が温まるにつれて、やかんが低く唸るような音を出し始める。最初は気のせいかと思うくらい小さいのに、だんだんはっきりしてくる。

手を洗い、タオルで拭く。

タオルは冷えていて、一瞬だけ手の温度を奪う。でもすぐに、指先が自分の温度を取り戻す。

窓の外を見る。

冬の空は色が薄い。雲があるのかないのか分からないような、白と青の間の膜みたいな空。電線が一本、まっすぐ伸びていて、その線があるだけで景色が現実に戻る。鳥の声はしない。車の音も遠い。世の中が動き出す前の、短い静寂が部屋にある。

湯が沸いた。

蓋が小刻みに震え、蒸気が細く上がる。火を止めると、急に音が減って静けさが戻る。カップに湯を注ぐ音。湯気が顔に触れて、冷えていた頬がゆるむ。両手でカップを包むと、陶器の温度が指に伝わり、指先が生き返るように感じる☕️

朝ごはんは、派手じゃないものにした。

「ちゃんと作る」よりも、体が自然に欲しがる温度を優先する。口に入れたときに冷たすぎないこと。噛むときに力がいりすぎないこと。胃が驚かないこと。そういう条件を、無意識のうちに満たすものを選ぶ。

食べ終わると、部屋の中の時間が少し進む。

食器を洗う。スポンジが皿に当たる音、水が流れる音、食器が重なる音。どれも小さいのに、朝はよく響く。音が少ないから、ひとつひとつが輪郭を持つ。

それから机の前に座る。

キーボードに手を置くと、指先がまだ少し冷たい。キーの表面はつるっとしていて、冷えたプラスチックの感触が指腹に残る。試しに数文字打つ。カタカタ、という音が部屋の静けさを割る。音が出るのに、うるさくない。むしろ、空間に「人がいる」という印を残すようで、安心する。

少し前まで、今日は外に出ようと思っていた。

買い物や用事が頭に浮かんでいたけれど、椅子に座って部屋を見回したとき、ふっと気持ちが変わった。今日は、ここでいい。外へ出なくてもいい。そう思った瞬間、胸の奥がすっと落ち着いた。

予定を変えることに、以前ほど抵抗がなくなった。

決めたから守らなければ、という感覚よりも、「今の自分に合っているか」を確かめるほうが自然になってきた。今日は動かない日。そう決めると、時間の流れがゆっくりになる。

部屋の中を少し整える。

大掃除ではない。目についたところを一つずつ直すだけ。テーブルの端に置きっぱなしだったものを片づけ、椅子を引き、床を軽く拭く。終わるたびに、空気がほんの少し変わるのが分かる。小正月という日は、こういう「整い」がよく似合う。

正月のにぎやかさが抜けたあとの家は、静かだ。

でもそれは、寂しい静けさではない。背筋が自然と伸びるような、落ち着いた空気。何かを始めろと急かされるわけでもなく、ただ「ここにいればいい」と言われているような感覚がある。

昼が近づくと、窓から入る光が変わる。

朝よりも白く、影がはっきりしてくる。外の気配は感じるけれど、今日は無理に触れなくていい。家の中で、自分のペースを保つ。それだけで、心は十分に整っていく。

午後は、特別なことはしなかった。

飲み物を入れ直し、少し座り直し、また窓を見る。そんなことを繰り返す。何もしない時間は、最初は手持ち無沙汰だけれど、慣れてくると安心に変わる。

夕方、部屋が少し暗くなる。

照明をつけるほどではない微妙な時間。昼と夜の境目。小正月らしい、落ち着いた一日が、静かに終わりへ向かっていく。

今日は、よく動いたわけでも、何かを達成したわけでもない。

それでも、ちゃんと一日を生きたという実感はある。外へ出ない選択も、何もしない時間も、今の自分には必要だった。

小正月の静寂の中で、ただ日常を歩いた。

それだけで、十分な一日だった。

一言。

今日は、動かなかったからこそ、ちゃんと自分のそばにいられた。

今日のみどころ

見どころは、**「揃いすぎた不自然」**だ。

朝靄の中を進む織田軍。

旗も、歩法も、呼吸すらも、機械のように完璧に整っている。

だが、その完璧さこそが、秀吉の「幻惑」がもたらした歪みの正体だ。

光秀や濃姫たちの、光を失った瞳。

その中で唯一、正気を保ちながら「騙された振り」を貫く半兵衛の眼光。

そして、一人軍列を離れ、目に見えぬ小次郎の影を追う武蔵の孤高。

この51話は、ただの行軍ではない。

「理(ことわり)」が死に、新たな混沌が芽吹く瞬間の記録だ。

2026年1月17日の日記:冬の静寂と決意

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