武器覚醒・試練編 ― 眠りの契約 ―
夜が、明けきらない。
東の空はわずかに薄くなっているのに、星はまだ退かず、風も静まらない。
天草四郎時貞は、夜露の残る地に腰を下ろし、呼吸を整えていた。胸の奥に残る重さが、眠りを拒んでいる。
契約は結ばれた。
それは確かだ。
だが――何も変わらない。
身体は軽くならず、視界も研ぎ澄まされない。力の奔流も、神の囁きもない。ただ、昨日と同じ身体、同じ夜、同じ静けさが続いている。
「……静かすぎる」
呟いた声が、闇に吸われた。
背にあるはずの“それ”を、時貞は振り返らない。触れもしない。
眠っている。
そう感じるだけで、確信はない。武器がそこにあるという事実だけが、胸の底で鈍く重なっている。
契約の場で交わした言葉は、まだ温度を持っている。
捨てないこと。
越えること。
神にならないこと。
選んだ答えに後悔はない。だが、その答えが何も起こさないという形で返ってくるとは、思っていなかった。
時貞は立ち上がり、周囲を見渡す。
兵たちは眠っている。火は落ち、焚き木の灰が白く崩れている。誰もが、いつもの夜の続きとして朝を待っている。
――世界は、何も知らない。
「それでいい」
自分に言い聞かせるように、時貞は小さく頷いた。
知られない力。
使われない力。
それは、選んだ結果だ。
だが同時に、胸の奥で別の感覚が芽生えていた。
使えないのではない。使わせてもらえない。
契約は“許可”ではなかった。
“保留”だ。
歩き出す。足音が、いつもより遠く感じられる。
夜の縁を踏み越えるような感覚。現実が、半歩だけ遅れてついてくる。
祈りの言葉が、ふと口をついた。
誰に向けたものでもない。神に捧げる祈りではない。民に向ける誓いでもない。
ただ、自分を保つための言葉。
「……まだだ」
その言葉に、背の気配は応えない。
沈黙は、拒絶ではなく、待機だった。
時貞は思い出す。
問いは、力についてではなかった。
在り方についてだった。
神にならない。
それは、力を否定することではない。
力に居場所を与えないという選択だ。
人の側に立つ。
それは、常に弱さの隣に立つということ。
勝ち切れない夜を抱えたまま、歩き続けるということ。
「……だから、眠っているのか」
風が、わずかに動いた。
星が一つ、雲に隠れる。
契約は成立した。
だが、覚醒はしていない。
それは矛盾ではない。
この世界では、よくあることだ。
力は、正しさに反応しない。
耐え続けた時間に反応する。
時貞は膝をつき、地面に指を置いた。冷たい。確かな現実。
この感触がある限り、自分は人だ。
「……それでいい」
再び言う。
今度は、迷いのない声だった。
遠くで、夜明けの鳥が鳴く。
兵の一人が寝返りを打つ気配。
世界は、ゆっくりと朝に向かっている。
――何も起きない。
だが、何も起きないことが、これほど重いとは。
背にある沈黙は、剣よりも、槍よりも、重い。
使われない力は、使われる力よりも、持ち主を試す。
時貞は歩き出す。
誰にも告げず、誰にも触れず、ただ日常の中へ戻る。
契約を結んだ者としてではなく、
契約を抱えたまま生きる者として。
空が、少し明るくなる。
夜は、完全には去らない。だが、留まりもしない。
武器は眠っている。
試練は、始まっていない。
それでいい。
始まらない時間があるからこそ、始まった時に耐えられる。
時貞は、歩く。
人の歩幅で。
🔮クロノス予告
契約は終わった
覚醒は、まだ
沈黙に耐える者だけが
次の問いに辿り着く
▶ 次回予告
第29話:武器覚醒・試練編 ― 兆しの距離 ―
何も起きない日々の中で、
“起きてはいけない違和感”だけが、静かに近づく。