進まない日の“意味”に気づく瞬間**
今日は朝起きて、なんとなく身体も心もゆっくりしていて、スイッチがすぐに入らない感覚があった。動こうと思えば動けるのに、どこか静かに立ち止まりたいような、そんな不思議な気持ち。最近の私は、やることが多くて自然と毎日が慌ただしくなっていたから、こういう“進みにくい日”は悪いものだと思いがちだった。でも今日は、その“止まり”の感覚に少しだけ耳を傾けてみることにした。
動けない日というのは、怠けているわけでも、気持ちが弱いわけでもない。むしろ逆で、“動く前の準備”をしている日でもある。今まではそういう日をただ「調子悪い」と思って流していたけれど、今日はその時間の中に小さなヒントが隠れているような気がした。
朝、コーヒーを淹れるまでが遠く感じるような、あの少し重たい感覚。それでも「無理してでも最初の一歩を動かす」瞬間があった。その小さな行動が、次の行動を自然と生み出す。体はゆっくりでも、心は“今日も生きている”という実感を取り戻し始める。その流れを感じながら、私はふと思った。
――進まない日は、実は“止まれ”というサインなのかもしれない。
普段の私は、予定ややるべきことを次から次へとこなしていくタイプで、止まることに罪悪感を感じることが多い。だけど、人の心も身体も機械じゃない。常に同じ速度で動き続けることなんてできないし、無理に進もうとすればバランスが崩れてしまう。スピードを落とす日があるから、動ける日が輝くのだと、最近ようやく理解できるようになってきた。
午前中はゆっくりと家の空気を眺めながら、ふと自分の内側に問いかけてみた。“今の私は、何に疲れていたんだろう?” “どこで立ち止まりたかったんだろう?” そう考えると、思っていたよりいろんなことに気を張っていたことに気付く。人に見せない緊張、気配り、プレッシャー。そういうものが静かに積もって、今日の“進みにくさ”になって現れたのかもしれない。
不思議なもので、そうやって自分の気持ちを一つずつ言葉にしていくと、心の中のもやが少しずつ晴れていく。誰かに言わなくても、自分で自分に話すだけで心のバランスが戻っていく時がある。今日の私はまさにその日だった。
昼の空は曇っていて、色は静かで淡かった。強い光がない分、風景全体が柔らかく見える。まるで「今日はゆっくりしていいんだよ」と空が言っているようで、その優しさに少し救われた気がした。進まない日には進まない日なりの景色があって、心に染みるものがある。
時間をかけて区切りながら動いてみると、小さなことでも“できた”という満足感が生まれる。洗濯物をたたんだだけでも、ひとつの仕事を終えたような清々しさがある。こういう感覚は、全速力で走っている日には気づけない。ゆっくりした日だからこそ味わえるものだ。
午後は、これからの自分の流れについて少しだけ考える時間にした。焦って決めるのではなく、自然に浮かんでくる方向性を大事にしたかった。やらなきゃいけないことは確かにたくさんある。でも、すぐに全部片づけなくてもいい。順番に、今できることから進めればいい。そう思うだけで胸の圧が少し軽くなる。
「止まっているようで何も進んでいない日」ではなく、
「止まることで次に進むエネルギーを溜めている日」。
今日はそんなふうに捉えられた。
人は何かを進めているとき、今立っている場所よりも前の方ばかり見てしまう。でも、時々は振り返ったり、その場に立ち止まったりすることも必要なんだと思う。立ち止まるから、自分が歩いてきた道の意味に気づける。止まるからこそ、自分の本音の声が聞こえてくる。
進まない日には、進まない日の価値がある。
動けない瞬間には、動けない瞬間の意味がある。
そう考えたら、今日の“ゆっくりさ”は悪くなかった。むしろ、ずっと急ぎすぎていた私に与えられた、大事なリセット時間だったのかもしれない。
🔮クロノスの導き
「止まることを恐れなくていい。
立ち止まる日は、未来を整える前兆。
動けない時こそ、魂は静かに準備をしている。
焦らず、今日という“余白”を受け入れよ。」
🌸 スピリチュアル日記